今日はいつもよりToDo(主に身の回りの整理)が捗らなかった。
モヤモヤと考え事をしていた。一度考え事をするとそっちに引っ張られて何も手がつかなくなる。まあ考え事といっても深刻な内容ではなく大抵はしょーもないことでそうなってしまう。
あとTwitterや5ちゃんは(禁止中なので)しなかったんだが、代わりにyoutubeのコメントをしてしまった。ホントそれも時間の無駄なんだよな。
それらのせいで整理がいつもより捗らなかったのだ。
それで散歩に出かけた。
しかし散歩している間もモヤモヤと考え事の続きをしていた。
具体的にいうと、今日俺は主に発達障害のことを考えていた。やはり俺も診断を受けに行くべきでは?とか、コンサータ欲しいなとか、そもそも発達障害とはなんなのか?とか、深く考えてみたりしていた。
30分ぐらい散歩していても答えは出なかった。モヤモヤしている。
しかし1時間ぐらい散歩していると視界が広がってきた。
考えても仕方がねーな。必要な時が来たら俺も診断を受ければいいだけだし、面倒ならそれまでだし、ホント無駄にしょーもない事ばっか考えてるな俺は…と。
てか俺は発達障害の診断が欲しくて、すでに診断がある人らが羨ましいだけなんじゃねーのかなと。そうだとしたら今自分のこととは関係ないことを無駄に考えているばかりじゃねーかと。他人を僻んで消耗するという一番愚かな感情じゃねーかと。
バカバカしい。俺がどうするかだろ。自分のことを考えろと。これからどうするのか。この状況をどう脱出するのか。自分の人生を少しでも良くすることに集中しろよと。
そういえば「小さな悩みほど人を蝕む、大きな悩みを持った方が良い」と島田紳助が言っていたな。確かにそうだ。俺はいつもしょーもないことを考えている。
そういえば、ここのとこ発達障害や父親のことをよく考えていたが、痔瘻の症状が出てくるとそのことで頭がいっぱいになって、発達障害がどうとか父親がどうとかは考えなくなっているんだよな。
痔瘻(かもしれない)ってのは俺にとって大きな悩みであって、発達障害や父親のことよりも複雑痔瘻やクローン病の方がよほど切迫感があるのだろう。
でもさらにいうと痔瘻も客観的にはそこまで大きな悩みではないともいえる。それなりに大きくても世間一般にいうとそこまででもない。そう考えると発達障害のことや父親のことなんてさらにそれ以下の本当に大したことではないんだなと。考えるだけ時間とエネルギーの無駄なんだなと、思えてきた。
そしてさらにいうと、痔瘻のことだってもっと大きな悩みがあったら大したことなくなるんだろな、というとこまで思いが廻った。例えば末期癌とかになったら痔瘻のことなんてどうでもよくなるんだろなと。その痔瘻よりも大したことないことでさっきまで永遠とモヤモヤしていたんだなと気付きだしたのだ。
そしてそう考えると常に人間ってのは悩みが尽きないんだなということにも気付きだした。
小さなことでも永遠と気になりだす。自分とは関係ない他人のことを気にしたりもする。酷いときは人の楽しみを奪うことで安心感を得ようとすることさえあったりする。
これらは悩みだけではなく欲望に関しても同じことだ。ここで呂布カルマの「世の中は不公平、みんな好き勝手、だけどそれでいい、どうせすぐ次が欲しくなるから」という歌詞を思い出した。
自分の行動や福利と関係ない下らない事を考えてモヤモヤするのは時間が勿体ないんだよな。それよりも自分がどうするかなんだよな。
しかしまあとにかく、バカバカしいことでずっともモヤモヤして思いを巡らしていたんだなあ、という結論を1時間の散歩によって出すことが出来た。
それで俺は整理も捗らなくて時間を無駄にしちまっているんだなーと。あー、そういうことだったのかと分かってきた。
このように長時間散歩をしていると考え事が自分の中でなんとなく解決したりするんだよな。
いや、解決ではないか。解決というよりも、納得というか、腑に落ちて心が落ち着くというか。
ちなみに1時間散歩しても視界が広がってこないのなら2時間、それでもダメなら5時間、あるいは数十分の散歩を1日の間に複数回するとかしてみるのも良かったりする。