10月上旬は、9月下旬のコロナ感染の名残りもあってか体がだるかった。いや、それよりも原因は、父親のことで心身ともに疲弊していたというのもあるかもしれない。
上旬のあいだに2回ほど夜中に父親が不調を訴えて救急車を呼ぶことがあった。いちおう毎回本人に詳しい症状を聞こうとするのだが、彼とは会話がマトモに通じないので、とにかく不調だ!ということで、毎回よく分からないまま救急車を呼んだ。『こんなことで救急車を呼んでもいいのだろうか…』という葛藤との戦いだった。しかし、けっきょく入院手術が必要だということが発覚した。結果として呼んだのは間違いではなかった。
中旬はアイドルのライブに東京、名古屋へと遠征した。それぞれ束の間の現実逃避となった。
しかし遠征中も気になっていた父親の件、本人が嫌がるなか、それでもなんとか入院、手術までは漕ぎ着けさせることができたものの、彼は術後に病院で暴れる等トラブルを起こし、早期(強制)退院となった。俺も母親も、彼と何度も何度もぶつかり、口論、というか怒鳴り合い、病院への送り迎え、付き添いなど、振り回された。まあ付き添い等、一番しんどい部分は母親が担ってくれたのだが。申し訳ない。
日雇い労働については、遠征が多かったのと父親の件で振り回されたこともあり、疲弊により、まあ言い訳だがな、10月は8日しか入ることができなかった。ちなみに、どれも例の飲食系の現場。当初は新たに別の現場を入れて『10月は12日は働こう!』などと息巻いていたのだが、無理だった。9月は10日だったので退化しちゃったな。