まあ詳細はまた後で書くのだが、また父親が救急車で運ばれた。
まあ、酒によって路上で転んで通行人が通報してくれて、それを知らせるため救急隊員が家まできて、母親が救急車に付き添いとして行ってくれた。俺は家で待機して、連絡があれば病院まで迎えに行く。今その待ち時間。
あれだ、家にきた救急隊員がすこし訝し気な顔で「お父さんが、息子さんには言わないでくれ、怒られるから、と言ってました」と言っていた。ああ、なんか俺が老人虐待してるみたいじゃねーか、と思った。
たしかに俺は父親に怒るようになった。いや、正確には怒“れる”ようになった。
これは人間の一つのタイプとしてあって、うちの父親だけではなく、世の中には一定数いるのだとは思うのだが、まあ、うちの父親の場合だが、俺や母親に対してはもちろんなのだが、例えば、最近だと病院の看護師や医師、スタッフに暴言を吐いたり、近所の人にたてついたり、配達員にたてついたり、そういうことをする。
で、なぜそういうことをするかというと、それによって相手が言うことを聞く、もしくはあるていど譲歩してくれるからだ。病院だと、ゴネることによって入院期間を短くして早く帰宅することができたり、そうでなくても相手が優しくたしなめるような形となり、それが心地いいのだろう。優しくたしなめてもらってる間は、俺の方が偉いんだ、とでも思っているのだろう。
家の場合でも同じだ、ずっとそうだった、彼はバカだから奇行をよくする。例えばゴミ(文字通りのゴミ)をため込んでスペースを占領する、逆に人のものは普段から明らかに使ってるようなものを勝手に捨てる、しかしそれに意見すると、彼はブチ切れて、高圧的な態度をとり、それでこちらは委縮して諦めて彼の言うことを聞く。するとさらにダメ押しと言わんばかりに何時間も説教をされたりする。その説教の内容は支離滅裂で聞けたものではないが、黙って聞くしかない。怖いから。
まあ、あれだ、これらは彼にとっては成功体験なのだろう。味を占めて、ずっとこの方法をとるようになるわけだ。バカだから。しかしまあ、ある意味合理的ではあるがな、でも短絡的だ。
また、どうしても看過できないことの場合、例えば、うちの経済力では到底賄えることができない、高額な買い物、契約などをしようとしていることが発覚したとき、まあこれもけっこう今まで看過せざるえないことが多かったのだが、事前に発覚してなんとか止めるチャンスがあるとき、その場合は、徹底的にたしなめるという形になった。なんとかそれだけはやめてくれと食い下がり続ける、何時間も何時間も、暴言吐かれようが何されようが、諦めずにたしなめ続ける、これによってなんとか止めれたりする。まあ、彼はすこぶる気分が悪そうなのだが、こっちはその何倍も疲弊する。時間とエネルギーを失う。
そして、最近、ここ2、3年だろうか、彼が奇行をしたとき、これは止めてくれと俺が意見をしたとき、彼はいつもどおり血相を変えて怒り出す、それに委縮して俺が無条件に言うことを聞くと思って。しかし、反撃してみたわけだ、これはある意味卑怯なのかもしれないが、もう80にもなる老人なわけでもうそこまで恐くないというのもあるのかもしれない。するとこんどは、彼は、あの手この手を使ってさらに強く恫喝をしようとしてきた、目の前のものを壊してみたり、誰にむかってモノ言ってんだ?出ていけ!と言ってみたり、急に演技をしてみたり、とつぜん嘲笑しだしたり、まあ、とにかく相手が面食らって委縮すればそれでよし、といった方針なのだろう。しかし俺はそれにも怯まず、なんならその何倍もの迫力で怒鳴りつけた。俺は間違ってない!と強い信念をもって。彼にはそれもないんだろう。だから、最終的に彼が折れた。40年近くの彼のと関係のなかではじめてのことであった。
これを俺も日常的にやるようになった。もちろん奇行であっても、多くは目を瞑る。しかしどうにも我慢の限界があるようなことについては、例えば何週間も下着を着替えず家中に悪臭を漂わせているなど、この方法を使う。ようは彼が今までやってきたことをやるわけだが。まあだから俺もある意味、力によって従わせるという成功体験に味を占めてしまっているということになるが。
そういえば以前は、介護施設などでヘルパーが入居者の老人に割と強めに注意したり、普通に怒ったりしている、というのを見聞きして、客として金払ってる何十年も長く生きてる人間にそんな強い言い方できるのか…とか思ってたのだが、今は、ちゃんとこれには理由があったんだなと思ったりする。
しかしひとつ、注意すべき点があって、「どうしても我慢の限界があるようなこと」と書いたが、あれだ、その我慢の限界の閾値がどんどん下がってくることには、気を付けないといけないなとは思う。相手より強い力で恫喝すれば言うことを聞くと学習してしまうと、それが味を占めて、些細なことでもそのやり方を乱発してしまう、というまさに父親がやっていたことだ。それを俺がまたやってしまうと、まあ誰も得しない。なぜなら長期的に見れば、父親が発狂するかもしれないし、俺自身の人格が狂ってくるかもしれないし、まあ、あまりいいことはないだろう。というかリスクが高い。
今、母親からメールが来て迎えに来てほしいとのこと。迎えに行ってくる。