自分はまだマトモな方だとかいう奢り

ブログの下書きや以前から書こうと思っていてメモってるネタは沢山あるのだが、それを書く気は起こらない。

なぜなら今書きたいと思ったことしか書く気が起こらないから。

ということで、さあ今日は何を書こうかなあ。

…って書きたいことが無いなら、こういうときこそ下書きやメモってるネタを使えよ!今使わないといつ使うんだよ!

とか思ってるうちに書きたいことが浮かんできた。

 

あれだ、烏滸がましいことにも俺は自分が比較的普通の人間だと思っている節がある。

Twitterなどでいわゆる社会不適合者といわれる人達を見ていると、たまーに自分と非常に似ているなと思われる同族にも出くわすのだが、十中八九は自分には理解しがたいタイプの人が多いのだ。

経歴や考え方がかなり変わっているというか。演出として過大に表現をしていたり、奇を衒うために心の底では思ってないことを言ってたりするのかな、と疑ったりもするのだが、仮にそうだとしてもかなり変わっているなと思われる人が多い。

例えば、この地獄のような世界に子供を産む奴は許せないという旨の発言をしきりにしている人がいたりする。俺には理解できない。「死にたい」と言いたくなる気持ちはまだ分からないでもないのだが、産むやつが許せない、あるいは産むべきではない、といった考えについては理解できない。俺は、生きたい人は生きればいいし、産みたい人は産めばいいしとしか思えない。そりゃ生まれる前から重度の障害があると分かっているだとか生まれても最低限の育てる環境すらないだとか条件を限定するのなら、その考えに及ぶ理屈も分かるんだが、そういった人達はどうやら不特定多数に向けた一般論として言っているようなのだ。だとすると人類は滅びるべきだということなのだろうか。俺は自分のことを考えるのが精いっぱいで、そんな壮大なことを考えたことも無かったし、まあ敢えて考えたとしても、そのような結論にはならないだろう。だからとても不思議に思うのだ。

しかし、そういった人よりも俺の方が遥かにオカシナ状態であるという現実がある。完全な引きこもり状態を6年近く続けているというのは、Twitterに居る社会不適合者達の中でもかなり奇異な状況だ。低収入だけど正社員をやっている、アルバイトや派遣をやっている、あるいは働いてはいないが友人や恋人など人との関わりがある、ネットを通じて知り合って交流している相手がいる、などなど、俺の状況よりはまだマトモな人ばかりだ。

俺から見ても変わっていると思ってしまう経歴や思想の人達の方がまだ社会に適合できている。そうなってくるとやはり俺の方が普通じゃないという理屈が通ることになる。

そう考えると怖くなってくるな。

見下しているわけではないが“さすがにここまで俺はオカシクはない”と無意識に感じながら観察していたツイッターの社会不適合者達よりも、実は俺の方がオカシカッタという…

でも俺はやはりオカシクないと思ってしまうんだよな。小中高と不登校ではなかったし、正社員で働いたこともある、成人式には一応行ったし、考え方も極端な他責やネガティブ思考ではないと思うんだよな。いや親のことを責めるようなことを書いたりはしてるが、一応さり気なく「これじゃダメだ、俺が悪い」というニュアンスも含めている。

一方で、「もうすべてが終わりだ、自分は怪物だ、障害者だ、全員敵だ、死ねるならすぐにでも死にたい、安楽死を希望する、産んだ親が憎い」ぐらい振切った発言をしている人が、リアルでは意外と俺よりも全然ちゃんとしてたりする。

なぜこのような歪なことが起きているんだろうか考えてみた。

まず、先にも書いたが、そういった人達は口ではかなりネガティブなことを言ってるが内心ではそこまで堕ちていないという説がある。これは本人の自覚、無自覚に限らずある程度はあるかもしれない。

そして逆に俺は、口では綺麗ごとや前向きに頑張りたいというニュアンスの言葉を吐いたりもするが、それは口だけでカッコを付けているだけで内心は何もやる気がないクズ人間という可能性がある。いや実際なんも行動できてないのでカッコだけ付けて行動できないクズ人間(キッパリ)なんだよな。

というか、明らかにオカシイのに自分はオカシクないとか思ってるから明らかにオカシイ状態から抜け出せないでいるのか?

あーそういうことなのかな!?

病識がない統合失調症みたいなもんで、オカシイ奴ほどオカシイことすら気付けてないという。

しかしもう少し細かく分析したくなってきた。

口だけ人間をかなり拗らせているという点、この状態で自分はオカシクないと思っていること自体が一番オカシイ点、この2点を今書いた。

そして細かい部分を言うと、というか別の視点から具体的な要素を集めてみると

  • 決めてしまうと軌道修正が不可能だという恐怖心がある
  • 動き出してしまうともう逃げれないという恐怖心がある
  • ネガティブな考えや弱音を吐くことは悪だと思っている
  • 想像以上に俺は臆病であるということ

ここら辺の要素が、今の俺のこのオカシナ状況を継続させていると考えられる。これらの起源は、これまで自分が歩んできた環境や人生経験から得たもの、あるいは生来のものなのかもしれないが、真面目すぎるというのがあるのかもしれない。自分で自分のことを真面目と言うのはかなりの自惚れと思われるかもしれんが…

しかしTwitterにいる一見俺よりも普通ではないと思えるがリアルでは俺よりマトモな社会不適合者の人達と俺の相違点となるとここら辺なのかなと、思ったりする。

あー、あとは罪悪感に対する耐性のなさというのもあるのかな。まあでも、これも真面目さからくるものと思われるな。

いや、というか罪悪感を感じやすい、真面目、臆病、一度決めたものは動かせないという考え、ネガティブな発言すら吐けない、これらは全てほぼ同義だな。同じ感情を起源として派生しているだけで中身は同じ。不安を感じやすい(安心感を得にくい)気質とでも言おうか。まあ言葉は何でもいいか。とにかくこの感情が俺が引きこもりから脱出することにおいて、あらゆる邪魔をしているんだろうな。

と、ここで終わるとこの記事の存在意義がない気もするので、対策も書くか。

いや、対策を書くからできなくなる、みたいなところもあるんだよな。ここで対策を書くことで口だけのカッコつけ野郎が発動してしまいカッコつけただけで安心して、無意識に“行動しなくてもいいや”、となってしまう危険性があるんだよな。

まあでも書くか。

これは暴露反応妨害的に鍛えるしかないんだろうな。ちょっとだけ無理をしてできることからやって言ってやれたと脳に刷り込む。やっても大丈夫だよ、と。やれるんだよ、と。

あとは、生活態度(睡眠、運動、食事など)を改善してメンタルを少しでも上げる、誰かにアドバイスを貰う、心療内科に行って薬などを活用する、辺りもあるな。この中からやれそうなことをやっていくしかない。

いやー、わかってんだよ。

で、俺の場合は、曝露反応妨害的なやつと、生活態度の改善、をやらなきゃな、とか日々思ってるんだよ。けどずっと変われてないってことはこれじゃダメなのかな?