2021年4月6日『とくになにもなし』

昨日の16時ぐらいに飯をドカ食いして怠くなって横になりながらスマホ。しばらくすると眠気がきて睡眠と覚醒を繰り返し、ときに場所を変え、起き上がれたのが今日の朝6時。

ドカ食い→横になる→スマホ見る→寝る、のパターンに入ると不味い。

もう少し細かく書くと、短時間の仮眠を取ろうとタイマーを掛けたのだが、眠気が来ずスマホを見てしまい、タイマーが鳴るもスマホ見続けるの止めれず眠くなるまで見続けてしまい、眠くなって寝ると翌日の朝になっていた。

堕落、堕落、堕落、予定通りにものは進まないもんだ。

 

6時ごろ

起きて間もなくまだ台所に父親が居なかったので朝食を摂る。

 

7時半ごろ

例のごとく父親の生活音にイライラしてくる。

しかし俺にしては珍しくイライラへの適切な対処として朝から散歩に出る。少し離れた駐車場まで行き車に乗る。昨日の雨で半分ほど散ったサクラを見にドライブ。今年初めての花見だ。半分散っているが見れてよかった。

まるで今後の俺の人生のような気がした。何もせず引き籠ったまま、もう俺の人生の花は大半が散ってるけど、見に行かないよりはマシかな、と思ったり。

 

10時ごろ

2時間半ほどの散歩&ドライブの後、帰宅。

母親のケータイをスマホに買い替えてあげなければという気持ちがあり、資料集めをせねばと思う。このミッションに取り掛かろうとして実はもう何日も過ぎている。今日こそは…

と思いつつ結局、Twitterやらyoutubeやらで時間を浪費。

もう、とっととショップに直接行った方がいいのかもしれん。しかし緊張するんだよな。引きこもりなので。

 

15時ごろ

昼が過ぎ、待望の昼食。しかし昨日の二の舞にならないようにとドカ食いまでいかないよう抑えた。昨日の三分の一ぐらいの量で済んだ。俺にしてはよく我慢した。

昨日ほどは眠くもならず、というか昨日は十分に寝たので仮眠はしまいとPC前に座りTwitteryoutubeの続きをする。スマホのことを調べなければ…と思いつつ。

 

22時ごろ

そうこうしてるうちに夜がきた。結局今日も何もしない一日だった。せめて夜買い物に行こう。腸内環境を整えるためのピルクルが切れかけてる。

しかし行かず。「こうしよう」と思ったことはことごとく実行に移せないポンコツ…これでいつも自己嫌悪になる。

 

23時半ごろ

シャワーを浴び軽く風呂に浸かった。そして今。

メンヘラインフルエンサーなんて大っ嫌いだ

Twitterには『メンヘラインフルエンサー』が沢山いる。こういった人達は昔からいたのか?たぶんここ数年で爆発的に増えた気がする。

メンヘラインフルエンサーとは発達障害精神疾患を肩書にしてインフルエンサーになった人達のことである。

彼らは一流大学出身であったり、優良企業に入社した経歴があったり、元々は優秀な人が多いようだ。しかし人生のどこかで挫折して精神科に駆け込んで鬱や発達障害などの診断を受けた、というケースが多いようだ。

そして、今はそれらを乗り越えて、お金をけっこう稼げていたりするようだ。才能を生かしてデザイナーをしたり、文筆業をしたり、バー経営をしたり。

具体的にいうと、メンヘラインフルエンサーとしての影響力を活かして生き辛い人向けの書籍を発売していたり、発達障害精神疾患などで生き辛い人が集うバーを経営していたりするようだ。

そのように自営で稼いでるケースもあれば、普通に正規雇用で働きつつプラスα副業としてダブルワークでやってるというケースもあるようだ。まあ、普通の人より稼いでる人も結構いるのだろう。

また、なかには結婚して子供も居て、立派な家庭を築いていたりもするようだ。

 

一方、俺は何の病名も障害名もついていない健常者である。高校時代は学年最下位の成績で、浪人してもZランク大学にしか入れず、やっとの思いで新卒入社した零細企業もクビ同然で辞める羽目になった。そこから10年ニートと日雇いバイトを繰り返し、とうとう引きこもりになってしまった。一念発起して頑張ろうとしたアフィリエイトも全くダメだった。親に迷惑をかけ親に文句を言いながらも動き出せずに引きこもり状態で5年が経過してしまった。

このように能力が低いくせに精神障害の病名が付いていない人間のことを『ギリ健』というらしい。俺は正にそれだ。ド底辺なのに健常者という。

一方、メンヘラインフルエンサーはハイスぺだけど、「我、ADHD(診断済み)なり、弱者なり、お前たち弱者の気持ちは分かる、我をフォローしろ」などというスタンスでインフルエンサー活動をしているようだ。時に「死にたい…自分なんて…」といった弱者から共感を集めるためのメンヘラツイートもしているようだ。

 

一方、俺含め、ガチの底辺もTwitterに沢山いる。そういった人達は、演出的なメンヘラツイートがなくとも雰囲気でガチの底辺なんだろうな…人生ここから立て直すの無理ゲーだよな…と分かる。そしてフォロワーは数人から多くても数百人なので目立たない。

しかし、我弱者代表なりと拡声器で叫んでいるのはメンヘラインフルエンサー達である。彼らは、金も地位もあり配偶者もいるが、発達障害精神疾患の病名があるというだけで弱者代表みたいな顔をしている。

一方、ギリ健ド底辺は、金も地位もなく孤独だ。しかし健常者である。弱者ではなくただの怠け者である。しかしこれは言いたい!好きで引きこもりなどの底辺に沈んだわけではないと。もがき苦しみながら沈んで這い上がりたいが這い上がれないのである。

俺は一体本当の弱者とは何なんだろうと思ったりする。

 

俺はこのような経緯からメンヘラインフルエンサーというのが嫌いになってしまった。

彼らが発達障害精神疾患の病名という免罪符を持っていることへ嫉妬している部分があるのもしれない。しかしそれよりも、彼らがフリをしているのが気に食わない。底辺でもないのに底辺のフリをしている。無能でもないのに無能のフリをしている。

彼らはなぜ発達障害なのに金も名誉も配偶者までもいるのか?普通の人よりも稼げているのか?

それは、彼らは発達障害精神疾患の診断は付いているものの、"ごく軽度"だったからだろう。診断基準の厳しい医者なら診断が降りなかったりするようなレベルではなかろうか。あるいは、かりに発達に偏りがあってもそれを補うだけの能力があったのだろう。つまり障害者どころか天才ということ。それが知能指数なのか、芸術センスなのか、容姿なのか、行動力なのかは、様々だろうが、生まれつき人よりも優れた才能があったということだ。そんな奴らが発達に偏りがあるという取るも足らないような短所を強調して、それを利用して、発達障害ブームに乗っかってインフルエンサーになっただけだろうと。

そんなもんをありがたがって崇めているガチもんの底辺精神障害者たちもバカだなと思ったりする。あんなもん何の参考にもならないのに。発達障害なのに社会的に活躍している○○さんには勇気づけられました!じゃないんだよ。彼らは障害者でも何でもない、たまたま"発達障害"という概念に当てはまったからそれを利用して有名になっただけ。一昔前ならちょっと変わり者なところもあるけど優秀な人って扱いだよ。あんなもんなーんの参考にもならんよ。ただの天才だから。同じ病名、障害名でも底辺と天才インフルエンサーだと別物だよ。

まあ…書いてて興奮して否定しまくっちゃったけど、まあ彼らの言うことも部分部分は参考になるかもな。でもあんま真に受けない方がいいってこと。元が全然無能じゃないし底辺でもないんだから。ただ単に、近年新たにDSM-5で分類された発達障害という概念に当てはまってるだけ。しかもごく軽度。そしてそれを補える天才的な能力に恵まれてる人なんだよ。そいつが底辺弱者ズラして降りてきてるだけ。

子育て世帯支援への抗議から考える引きこもりの生存戦略

菅義偉首相がコロナ感染拡大の影響で困窮する子育て世帯への支援策として「子供1人当たり5万円を給付する」と表明した。

まあこれぐらいやっとけば大丈夫だろう、支持率も少しは上がるだろう、子供やシンママへの支援に文句言う奴はいるまい、そこに文句を言うような奴は悪とみなされるからな、なんて政府の心の声が聞こえてきそうだ。

ところがどっこい、実際には批判の声が多数上がっているようだ。

「独身の若者も困ってる!私達(の属性)こそ弱者だ!」だとか、「自分の意志で産んだんだろ!」だとか、「全員困ってるから全員にばら撒け!」だとか。

俺もこの気持ちは分かる。結局、可哀想ランキングの上位、あるいは声のデカい弱者だけが優遇され救われる世の中。世の中から"支援を受けるべき弱者"と認めてもらえない弱者に施しの手は差し伸べられない。だから声を上げる。

しかしさらに、そのような批判の声に対しても批判の声が投げかけられているようだ。

「次世代を担う子供たちの為に支援があるのは良いことだろ!」だとか、「自分も弱者なのに弱者が救われることを批判するなんて最低!」だとか、「救われる人がいることになぜ素直に喜べない?嫉妬してるんだろ?足を引っ張るなよ」だとか。

これには俺は少し反論したい。今回の子育て世代への支援策の是非はおいておいて、弱者が自分の属性とは違う弱者への支援を批判するのは仕方がないことだと思うのだ。なぜなら支援を受けられる弱者の席の数は限られているからだ。どうしても席の奪い合いになってしまう。つまりはゼロサムゲーム。

今回のケースでいえば、子育て世代へ支援された分、他の属性の弱者への支援は減る、あるいは無くなるわけだ。弱者を支援する為のリソースは無限じゃないからな。こんなもんは経済学だとか社会福祉学だとか学んでなくても本能レベルで分かることだ。

全ての属性の弱者が支援を受けれることはない。結局は奪い合うしかない。だから抗議が起こる。

 

ところで、限られた弱者支援のリソースをゲットするには、自分自身が"支援を受けるべき弱者"と社会から認めてもらうことだ。

能動的にこれをするには2つの方法がある。

一つ目は、自分の属性こそが支援を受けるべき弱者であることを主張することだ。裏を返せば他の属性に対しては支援を受けるほどの弱者ではないと主張することもになる。先に書いた今回の子育て世代へ支援への抗議が正にこれだ。

二つ目は、自分自身が既存の支援を受けるべき弱者属性になることだ。今回の子育て世代の支援の件でいうと、自分自身がコロナ感染拡大の影響で困窮する子育てママ(パパ)になることだ。しかしそれは無理な話。だから結果として一つ目の自分の属性こそが支援を受けるべき弱者であることを主張するという形になり多くの人が抗議をした。

 

では二つ目が適応されるケースはどのようなものがあるのか。

それは、精神福祉障害者手帳、障害者年金、生活保護などが分かりやすい。

俺はよく思うのだ、5年も引きこもっていて脱出できないでいるのだから、精神科に行って病名をゲットして、通院歴を稼いで、手帳や年金、生活保護をゲットすればいいのでは、と。

実際、そのような戦略で支援をゲトる引きこもりやニートは結構いるようで、リアルタイムで目指している人も5ちゃんねるやTwitterで何人も見かけた。

しかし、俺はなかなかそらちには行けないでいる。まだ自分はやれるという期待があるからか?いや違う。多分「そちらはそちら大変そうだ」と思っているからだろう。例えば精神科に行ってもギリ健認定されるリスクもあるし、それでドクターショッピングしたり、あるいは病名が付いても支援にまで進むには通院歴が必要であったり、医者を説得するなど、ハードルがあるからだ。

しかし「では俺も一つ目をやろうか」とはならない。これこそ無駄な徒労だからだ。シンママだけ支援ズルい!精神障害者だけずるい!俺にも支援くれ!てかベーシックインカムで全員に配れ!なんてことを叫んだところでどうにもならない。そういった抗議活動を生業にするには時間とエネルギーが無駄すぎる。

となると結局は「弱者の席の奪い合いからは離脱するのが一番楽なのでは」という考えに及ぶ。

つまり、労働して対価を貰う、貰える額を増やしたければ提供する価値を大きくするしかない、とういうごく当たり前のことをするべきということ。

あるいは発達障害の診断をゲトって投薬などの支援をつまみかじりながら労働するというのも手かもしれないが。