最近夢を見る頻度が減ったことと、引きこもりがよく見る夢について

最近見る頻度が減った。見てもいまいち内容を覚えていないことが多い。

一時期は毎日のように悪い夢を見ていたのだが、毎日のように悪夢を見るのはメンタル的にかなり良くない状態らしい。そして夢をあまり覚えていないのは比較的睡眠の質が良いということらしい。

参考:毎日夢を見るのは良いこと?悪いこと?

確かにここ数日は気分が落ち着いているような気がする。寝起きの怠さ、孤独感、過去の後悔、焦燥感、不安感は相変わらずだが、起きて動き出すと気分はマシになっている。ただメンタルには波が有るのでまた落ち込むかもしれないので予断は許せないが。

まあメンタルがどうなろうと現実は何も変わってないんだけどな。メンタルが良かろうが悪かろうが行動しないと現実は変わらない。分かってはいる。

ところで、夢を忘れる前に、今まで見ていた夢(主に悪夢)を書いておこうと思う。夢はその時の自分のメンタルの状態、深層心理を理解する糸口になる気がするから。実際夢占いで自分の見た夢を調べてみると心当たりあることが多い。

  • 取り残される夢
  • 学生時代の夢
  • 若手社会人のころの夢
  • もう手遅れだと分かっているのに悪あがきしてる夢
  • 焦っている夢
  • 親に申し訳ない気持ちの夢
  • 浮遊感のある夢
  • 海で遊んでる夢
  • でも海開きシーズンは終わって皆海から上がろうとしてて寂しく焦ってる夢
  • 腐ってる夢
  • エロい夢

上に行くほど見る頻度が多い夢。

夢占いで調べると「後悔、焦燥感、自己嫌悪、不安、寂しさ、将来の心配体調の心配など」が強いとあった。
ただごくまれに「力がみなぎってる」みたいな判定が出たこともあった。まあそういう夢を見ても結局引きこもり脱出の兆しは見られなかったが。

 

てか思い出すのが面倒で箇条書きになってしまった。夢を見たときにすぐ書くべきだった。

痔瘻の症状がかなり落ち着いてきている。それでどんどん病院に行く気が無くなってきた。

そもそも再発してないのか?

しかし病院に行かない限り心にずっと引っかかってるのかもな。白黒つかないとダメな性分なので。

人は歩く道が決まっていてその道を歩いているときは不安やストレスも軽減されると思う。よくないのは、歩く道が決まっていない、決まっているけど踏み出せない、って状態。

ここらへんを総合すると、

  • 白黒ついていなくても気にしない(一旦棚置きする)
  • 道を決めて勇気出して踏み出して歩く

のどちらかが出来れば気を病まなくてすむはず。

こうやって文章にすれば簡単そうなんだけどもな。なかなか難しい。だから今も今までも俺はこんな感じなんだろうな。

父親を避けながら生活するのはシンドイ。なんせ家が狭い。そして父は台所にずっといる。だから飯を食う時間を確保するのが大変だ。ダイエットになっていいじゃないかとか言われそうだが、むしろ逆で、父が台所に居ない時間に一気に掻き込むから余計に太るのだ。体調も悪くなりやすい。

じゃあ独り暮らししろよって話だよな。とにかくこれが第一優先。しかし父ももう70代後半。俺が一人暮らし出来る様になるころには死んでるかもな。何もかもが上手くかみ合わない。まあ人生なんてそんなもんか。いまはマイナス思考で何でもかんでも理不尽に感じるだけかな。

大学生の男がボウガンで家族4人を打って3人が死亡したらしい。こういう事件を見るたびつくづく家族間の憎悪ってのは凄まじいんだなと思う。

俺はそこそこのキツいイジメにあったこともあるしブラック企業で陰湿なパワハラにあったこともあるが父親への憎悪に比べればもう何とも思っていないレベルだ。もうどうでもいいレベルになっている。
もっと言うと世の中にはもっともっと酷い迫害や不公平が多数あるが、俺からしてみればそんなことより父親への不快感しか頭の中に無い。

そう考えるとバランスがおかしいなとも思う。

多分、原因は接触時間と関わりの大きさなのだと思う。18歳とかで別居していれば俺をイジメてきた奴やクソ会社のクソ上司と同じく、たまに思い出して腹が立つこともあっても、基本“今となってはどうでもいい”ぐらいのレベルになっていただろう。

父親にとっても心当たりのある部分はあるかもしれないが、まさかここまでのレベルで憎悪されているなんてのは寝耳に水だろう。たぶん分かってはいない。

こういうことが起きないように、親子はとっとと距離を置くべきなんだと思う。

  • 同じ空間にいるのが苦痛
  • 言いたいことが言えない(聞き入れられない)
  • 価値感が全然違う
  • 相手のことを尊敬できない

これに加え、“自分自身の人生がうまく行っていない”というのが合わされば憎悪はその対象に向く。そして悲劇が生まれる。

その前に距離を置くのが得策だろう。転ばぬ先の保険として、もし上の条件がある場合は、まだ人生が行き詰る前の気力がある内に。

このままだと自分が腐っていく

父親が何か言っても俺は無視をするし、父親がいる空間ではものすごく不快な顔をしている。

こんなことをしている自分が物凄く嫌いだ。しかしこれしかできないでいる…

暴力や暴言よりはマシか。

いや、誰も得をしない。なにより自分がどんどん腐っていく。

復讐したいわけじゃない。復讐なんてしたらまた自分に返ってくるだろうし。例えば、父がストレスで認知症になったら結局俺に返ってくる。ともかくこんなことをしていてろくなことはないのは分かっている。

負の連鎖を俺で止めるべき。

1秒でも早く物理的に距離を置くか、俺が変わるか。少しずつでもこれだけを目指す。

誰も得をしない破滅的なことは一刻もはやくやめねば…

しかし会話できる気がしない…

まずは小さなタスクを毎日する

まずは一日に一つだけ自分を誉めれるようなタスクをする。小さなことでもいい。

だだし「生きているだけで偉い」とかそういうのではない。今までやらなかったようなことをしないと、やはり心から自分を誉めるような心境にはならない。

だから小さなことでいいから能動的であることが条件だ。

例えば、

  • 爪を切ったとか
  • 鼻毛をカットしたとか
  • ストーブを一台片づけたとか
  • 冬物を一着仕舞ったとか
  • 決めた時間に起床できたとか
  • 散髪に行ったとか
  • 病院に電話したとか
  • 給付金について調べたとか
  • 30分散歩をしたとか
  • 親と話し合ったとか
  • 求人を30分調べたとか

こういうのを1日1つだけする。

引きこもりが重症化するとこういう小さなタスクも全くしなくなる。だからこういう小さなタスクからやっていく。小さいから毎日できる。

また、昨日よりもタスクを大きくしたり数を増やす必要は無い。なんなら昨日よりも簡単なタスクでもいい。

なぜなら「昨日タスクをして今日もタスクをした」というのは継続したという付加価値がついてある意味タスクは大きくなっているからだ。

例えば、

6/1(水)→鼻毛を切って美容院に行った

6/2(木)→爪を切った

こう見ると、6/1に比べ次の日の6/2は退化したような気持になりがち。

しかしそうではない。以下のように考える。

6/1(水)→鼻毛を切って美容院に行った

6/2(木)→鼻毛を切って美容院に行ったにもかかわらず今日は爪を切った!2日連続ガンバッタ!

こすれば前日よりも進化したことになる。継続している時点で昨日よりも大きなタスクが出来たとみなしていいのだ。

不吉という言葉の自己解釈

もう少しまとまった文章を書きたいんだが。引きこもり生活の中で頭がバカになっているから中々難しい。そのうち以前のようにまとまった文章も書けると信じてやればいいだろう。

ところで、今日(5月30日)起きた時、少し思ったことがある。

俺の中にある良くない観念として「不吉感」というのがある(この表現がしっくりくる)。これを克服したい。

俺が勝手に考えただけで厳密な語彙は他にあるんだろうけど、

不吉感→科学的根拠のない不安、非科学的な根拠を纏った不安

といったところだ。

それを打ち消すための非科学的な儀式を繰り返してしまうことを縁起強迫というらしい。

俺の場合、ひたすら打ち消す作業をすることも有るが、該当する作業が出来ないことがある。そのときは悶々としてしまうこともあるし、代替する儀式を新たに作ってやることも有る。

例えば父親がおかしなことをする。俺はそれが非常に不吉に感じてしまう。おかしなことはおかしなことなんだが、不吉に感じる俺も異常だ。おかしなことを止めさせるのは難しい。ということは俺の不吉な観念を強制した方が早いはずだ。

論理的に物を考えれる人間だと思う。しかし不吉さがずっと付きまとう。論理的に考えれる、おかしなことを考えているのは自分でもわかっている。しかし不吉に感じてしまうのだ。

これを解決する糸口として、俺は暴露反応妨害や森田療法と言ったものについて勉強しているのだが、それプラスα斎藤一人さんの講話を聴くことが効果的だと最近感じている。斎藤一人さんもオカルトチックなことを言う。そこには不吉さの存在も肯定している。しかし一人さんのばあい一見オカルトなのだが実は理にかなっていたりする。俺のオカルトは理にかなっていない。信じれば信じるほど人生がうまく行かなくなるリスクがある。しかし斎藤一人さんのオカルトは信じれば信じるほど人生は上手くいくようなシステムになっている。それはあえてそうしているのかもしれない。本当は論理なんだけどもオカルトを入れることで人のここをに刺さりやすくしているのかもしれない。そこにまんまとはまってみて一人さんのオカルトを信じる努力をすることで俺の中にあるオカルトを強制できるかもしれない。