大学生の男がボウガンで家族4人を打って3人が死亡したらしい。こういう事件を見るたびつくづく家族間の憎悪ってのは凄まじいんだなと思う。

俺はそこそこのキツいイジメにあったこともあるしブラック企業で陰湿なパワハラにあったこともあるが父親への憎悪に比べればもう何とも思っていないレベルだ。もうどうでもいいレベルになっている。
もっと言うと世の中にはもっともっと酷い迫害や不公平が多数あるが、俺からしてみればそんなことより父親への不快感しか頭の中に無い。

そう考えるとバランスがおかしいなとも思う。

多分、原因は接触時間と関わりの大きさなのだと思う。18歳とかで別居していれば俺をイジメてきた奴やクソ会社のクソ上司と同じく、たまに思い出して腹が立つこともあっても、基本“今となってはどうでもいい”ぐらいのレベルになっていただろう。

父親にとっても心当たりのある部分はあるかもしれないが、まさかここまでのレベルで憎悪されているなんてのは寝耳に水だろう。たぶん分かってはいない。

こういうことが起きないように、親子はとっとと距離を置くべきなんだと思う。

  • 同じ空間にいるのが苦痛
  • 言いたいことが言えない(聞き入れられない)
  • 価値感が全然違う
  • 相手のことを尊敬できない

これに加え、“自分自身の人生がうまく行っていない”というのが合わされば憎悪はその対象に向く。そして悲劇が生まれる。

その前に距離を置くのが得策だろう。転ばぬ先の保険として、もし上の条件がある場合は、まだ人生が行き詰る前の気力がある内に。

このままだと自分が腐っていく

父親が何か言っても俺は無視をするし、父親がいる空間ではものすごく不快な顔をしている。

こんなことをしている自分が物凄く嫌いだ。しかしこれしかできないでいる…

暴力や暴言よりはマシか。

いや、誰も得をしない。なにより自分がどんどん腐っていく。

復讐したいわけじゃない。復讐なんてしたらまた自分に返ってくるだろうし。例えば、父がストレスで認知症になったら結局俺に返ってくる。ともかくこんなことをしていてろくなことはないのは分かっている。

負の連鎖を俺で止めるべき。

1秒でも早く物理的に距離を置くか、俺が変わるか。少しずつでもこれだけを目指す。

誰も得をしない破滅的なことは一刻もはやくやめねば…

しかし会話できる気がしない…

まずは小さなタスクを毎日する

まずは一日に一つだけ自分を誉めれるようなタスクをする。小さなことでもいい。

だだし「生きているだけで偉い」とかそういうのではない。今までやらなかったようなことをしないと、やはり心から自分を誉めるような心境にはならない。

だから小さなことでいいから能動的であることが条件だ。

例えば、

  • 爪を切ったとか
  • 鼻毛をカットしたとか
  • ストーブを一台片づけたとか
  • 冬物を一着仕舞ったとか
  • 決めた時間に起床できたとか
  • 散髪に行ったとか
  • 病院に電話したとか
  • 給付金について調べたとか
  • 30分散歩をしたとか
  • 親と話し合ったとか
  • 求人を30分調べたとか

こういうのを1日1つだけする。

引きこもりが重症化するとこういう小さなタスクも全くしなくなる。だからこういう小さなタスクからやっていく。小さいから毎日できる。

また、昨日よりもタスクを大きくしたり数を増やす必要は無い。なんなら昨日よりも簡単なタスクでもいい。

なぜなら「昨日タスクをして今日もタスクをした」というのは継続したという付加価値がついてある意味タスクは大きくなっているからだ。

例えば、

6/1(水)→鼻毛を切って美容院に行った

6/2(木)→爪を切った

こう見ると、6/1に比べ次の日の6/2は退化したような気持になりがち。

しかしそうではない。以下のように考える。

6/1(水)→鼻毛を切って美容院に行った

6/2(木)→鼻毛を切って美容院に行ったにもかかわらず今日は爪を切った!2日連続ガンバッタ!

こすれば前日よりも進化したことになる。継続している時点で昨日よりも大きなタスクが出来たとみなしていいのだ。