勇気

朝方に寝て、いったん起きて電話をして、また寝て、昼下がりに起きて、例の飲食の日雇いに行ってきた。

まあ、日雇いといいつつほぼレギュラーになっているのだが。これまでは60代の熟練パートさんと一緒に働いていたのだが、11月いっぱいでその人は辞め、今後は同年代ぐらいの新人パートさんと一緒に働くという方向となっている。

ちなみに、熟練パートさんとは1年以上一緒に働いていた。厳しいところもあったが、カラッとした性格の人で、それでいて色々と気にもかけてくれたりもしていて、飲食の日雇いに行くのがある種の癒しになっていた。しかし彼女は、秋口から体調不良が発覚して、入院、手術となり、11月から復帰とのことだったが、やはりもう体がもたないとのことで、そのまま退職となったのだ。また一緒に働けると思っていただけに、もう戻ってこないと聞いたときは、不意を突かれたような切なさがあったな。そういえば彼女の「私みたいにボロボロなのにこんな働いてるんだから、若いあなたはもっと頑張らないと(笑)」という言葉が印象に残ってる。強い人だったなあ。

そして今一緒に働いている新人さんなのだが、まあその人もいい人なのだが、しかし、もう熟練パートさんのような癒しもなくなったので、俺もいつ辞めてもいいかなという気分で働いている。というか、去年の夏、まだ引きこもりから脱出したばかりの頃の自分によくしてくれた人たちにはどうしても愛着が沸いてしまうんだよな。その一人が熟練パートさんだったわけだ。

しかしあれだ、昨日も書いたのだが、前進が止まりマンネリしてくると、気分が沈んできて嫌な現実や未来が見えてきてしまうので、そしてたぶんその先は絶望しかないと思っているので、そうならないように走り続けなければいけないわけで。だから、やるかぎりは本気でやりたい、より良くしていきたい、できることを増やしたい、自己成長したいとも思っている。

その一環として、もっとまともにコミュニケーションとれるようになりたいというのがある。その新人さんと。

何度も書いてるが俺は生来のコミュ障なのだが、引きこもりを経て更にそれは悪化して、というか俺の生来のコミュ障は成長と共にあるていど発達はしていたのだが、加齢なのか長い引きこもりの後遺症なのか、再び退化してしまっており、これをなんとか発達させていきたいと思ってるんだよな。

もっと愛想よくて気が利く人間になりたいのだが、それよりももっと思うのが、2日くらい前にも書いた気がするのだが、自分から人に働きかけれるようになりたいんだよな。例えば自分から打ち解けれるようになりたい。いや、もっと端的にいうと、自分から会話をもちかけたい、と思っている。

あれだ、こういう前向きな調子に乗ったことを書いていると、ここで調子に乗ったことで満足してしまい、肝心な実行力が発揮されず、ここでの“口だけ人間”となり、その自己嫌悪で意気消沈とするという恐れがあるのだが、てか実際そういうパターンが何度もあったので、嫌な予感もするのだが、だから書かない方が良かった気もするのだが、まあ書いてしまったから仕方がない。

あれだ、思うに、勇気を出して何かをやれると、その直後というか、その後の数時間から数日は気分が上がるという経験がこれまでの人生であった。たとえそれが失敗に終わったとしても、殆どの場合、自己肯定感は上がる。それが善意に基づいた行動であればとくに。しかも成功であれば、心的なものだけでなく実質的にも大きく前進できてたりする。その先の人生が大なり小なり快適になる。例えば今回でいうとその新人さんに自分から会話をもちかけてみることであったり。