Xを見ていると、精神障害者が障害年金について話しているのがよく流れてくる。その中には明らかに『お前には不要だろう』という類のものが目に入る。例えばさっき見かけたのだが、躁鬱だかADHDだかしらんが、金融資産を持ち、配偶者がおり、会社を経営し、農園を経営し、自宅を改造してジムスペースを作りダンスやら格闘技やらを楽しみ、高級そうな飯をSNSに上げ、しかしそれでも自分は精神の病気と闘ってる可哀そうな人間なので、だから障害年金を貰うのは当たり前の権利であり、申請が落ちても、何度断られても、優秀な社労士とチームを組んで何度でも挑戦してやる!絶対受給してやる!応援よろしく!みたいな…こういう図々しい人間がいる。
いっぽうで、身寄りもなく仕事もなく、それでも自分の無能さを棚に上げて人様の税金で衣食住を得るなんてできない、と遠慮をしてホームレスになったり、仕事をする能力も生活能力も行動力もなく、日本ほど豊かな国で誰にも頼れず餓死するような人がいたりする。
俺は悲しくなると同時に、自分はあとちょっとすると後者側の人間になるという不安と焦り、そして前者側の人間への嫉妬と怒りが湧いてきてしまう。
俺はいま、日雇いの単発バイトをしている。ニートや引きこもりだったころよりはマシかもしれんが、いわゆる底辺だ。先に書いた精神障害者よりも、孤独で、薄暗く狭く汚らしい家で、安物の汚らしい飯を食い、生活している。能力が低いので初老の歳にもかかわらず日雇いの単純労働、肉体労働をしており、しかし精神障害という肩書はもたず、健常者として足掻いている。生き方がヘタクソで、能率の悪いことをしているような気がする。
それでも自分を奮い立たせるというか、今の生き方を正当化するというか、自分を納得させるために、先に書いた精神障害者のように福祉をゴリ押しでゲットするような方向へ努力するのではなく、あえて健常者として底辺労働を這いずり回るメリットを考えてみた。これは人としてのプライドとかの話ではなく、実質的なメリットについてである。
まず、単純労働なので、そこで培われる業務の知識や経験、スキルなんてもんは何の意味もない。5年後だか10年後には機会が全部やってるようなことをやっているだけであって、将来なんの役にも立たない。
では何があるか?
書いていて疲れてきたのでここら辺にする。ああ、本題はここからだったのに。自分を奮い立たせるために書こうと思っていたのに。しかし今日はもう遅いのでここら辺にして、今度また書くことにする。