一日と一日の境目がない感覚と、その弊害と、その部分的対策

昨日と今日の境目がない感じ。たぶん今日と明日の境目もない感じになる。こんなのがずっと続いている。

長めの睡眠が一日と一日の境目になるのかもしれんが、例えば10時間寝たとしてもなんだか仮眠を取ってるような感覚というか、逆に起きている時間は起きている時間で寝ているのと変わらない感覚というか、まあ睡眠と覚醒のメリハリがないんだろうな。

だからずーっと単調な途切れない時間が続いているような感覚。何日も何ヵ月も何年も。日を新たにって感覚が無い。

いや、無いは言い過ぎか。今現在が酷いだけで多少有るときもあるか。ただ、『日を新たに』とか『昨日はこうだった』とか『明日はこうしよう』とか、そういうのがかなり少ないのは本当。一日と一日の境目のないとこうなる。無職になって引きこもりになって酷くなっていった。

そいうえば“節目を大切にする文化”を俺はなにか冷めた目で見たりすることがあった。何周年とか、記念日とか、新年とか。しかし節目ってのはこういった意味で大切だったんだな。皆意味もなく節目で盛り上がってたわけじゃないんだな。節目を意識することに大きなメリットがあるから人間の文化として定着したのかもな…などと節目を大切にしない生活を延々と続けてきて思えてきた。

 

話しは少し変わるが、今日の起き抜けに、働ける気がしない…などと考えていた。

布団から出たのが夜の22時半ごろ。夕方には起きる予定だった。こんなんで働けるのだろうか。

ちょっとしたことで疲れる。すぐ体調が悪くなる。アナルの周りが痛くなる。腰や脚もいつも痛い。何もしてないのに疲れてる。10時間寝ても疲れてる。かといって睡眠時間を減らすともっと疲れる。何かするとさらにものすごく疲れる。こないだは市役所に行っただけで疲れすぎてかなりの休息が必要だった。こんなんで働けるのだろうかと。

 

少し話は変わるが、そういえば少し興味深い夢を見た。

従業員にすごく厳しい飲食店があって、店主は頑固だし、今の時代では考えられないほどビシバシとしごくタイプだった。なんと店主の気に食わないことをしたら罰として牢屋のような場所に閉じ込められるという。

俺はそこに客として行ったんだが、なぜかそこで働かされることになった。なにか店主の気に食わないことをしてしまって、元を取るためにここで働け、と連れ込まれたのだ。

おもしろいのが、俺はそこでホッとしたのだ。絶望ではなくホッとした。なんならちょっと嬉しくて、ワクワクした。なんだったんだろうか、あの夢は。

 

話しを一つ目のブロックに戻す。一日と一日の境目がない感覚の話。

一日と一日の境目がないことによる弊害なのだが、まず、今を大切にできない。そして、昨日を反省できない、明日に希望が持てない、というのもある。

それで、何もしていないのに時間だけが過ぎていく。ちなみにこれによって恐ろしいほど時間は早く過ぎる。俺には2、3年前と数週間前の違いが分からない。

何も前進できない、何の成長もできない。ただただ老いてゆく、状況は悪化してゆく。焦燥感と不安感だけが高まっていく。

無職や引きこもりが一日と一日の境目を作るには、規則正しい生活、あるいは決めた時間に起きて決めた時間に寝る。これをきっかけに睡眠と覚醒のメリハリを付ける。起きている今を大切にする。昨日を反省し、明日に希望を持ちつつ。

ちなみに労働や就学はこれらの大部分を一発で解決するのだろうがな。まあそれは今回は考慮せずに話を進める。

 

ここからは、俺の場合こうすべきなんだろうな、みたいな話。マクロというよりもミクロの話。部分的な話。今日たまたま思った話。

俺は今日一度18時ごろ目覚めて下に行った。すると台所に父親が居た。

ああ、ちなみにここからはいつもしている話だな。何度目やねんって話だな。

俺は二階に戻ってまた寝た。父親のせいだ。俺が起きれなかったのは。などと思った。

しかし考えてみると、飯を食わないという選択肢もあったし、台所で素早くバナナなどを拝借して別の部屋で食べるという選択もあったし、無理して父親のいる台所で飯を食うという選択肢もあった、そのどれも選ばずに俺は二階に戻った。つまりこれは俺の責任だった。

不可抗力なんてもんは誰にでもある。それに対してどうするかが問題であって。

俺が馬鹿なんだろう。俺が悪いんだろう。

次からは二階に戻る以外の選択をしたい。あるいは数少ない父親が台所にいなさそうな時間を狙ってその時間に確実に起きればいい、もちろん仮にそのとき台所に父親が居たからといって二階には戻らない、その場合もそれ以外の選択をする。ただこれだけじゃないか…

なんて俺は馬鹿なんだ。なんて弱いんだ。