書くことがないが今日も書く。
今日、布団から出たのは19時半ごろ。
ちなみに一旦18時ごろにも目覚めたのだが、台所には父が居るので布団から出たところでどうせ飯も食えないし、と言い訳をしてチンコをしごいた。
そのように射精をしてから再眠するも、もう流石に沢山寝ていたということで、19時半ごろ仕方なく布団から出たというわけだ。
父はまだ台所に居るので、俺はそのままPCのある部屋に行きネットを見た。
まあ飯を食ったところで俺の意欲や集中力は変わらん、どのみちいつも生産的な作業などできてないので同じこと、と割り切った。もう飯食わなくていいやと。食わないパターンでいいやと。
すると1時間ほどで台所が空いた。何だかんだで腹が減っていたのと、父に対する「あんたが居るから俺は飯が食えなかったのだぞ」という恐らく全く効いていないであろう当て付けも込めて、俺はすぐさま台所に行った。
そして普通に飯を食って、またPCの部屋に戻ってネットを見た。
やはりというか薄っすら予想していた通りというか俺は生産的な作業はしなかった。
ふと思った。一日の多くの時間において台所に父親が居るから起床しても飯が食えないということを俺は気にし過ぎているなと。台所に父親が居て飯が食えなくてもいいではないかと。
まあ、たまたま今俺は大らかな気持ちになれただけで明日にはまた心は狭くなっている可能性はあるが、今はそのように思えている。
起床したとき台所に父親が居る可能性が高いこと、だから飯が食えないこと、これら自体ではなくこれらを気にし過ぎていることが俺の心に重くのしかかっているのだろう。
つまりは俺自身の作り上げたストレスである。実害はあまりないのにストレスだけが肥大している気がする。
食えないときは食えないで流れに身を任せて受け入れれた方が楽なのではと。
太ってるんだし。起きてから暫く食えないことによる弊害はそもそもそれほど大きくないだろう。なによりこれが一生続くわけではない。俺次第で数ヶ月あれば環境は変えれるはずだ。
なんなら台所に行って牛乳とをコップに入れてバナナなどを持ち出しPCのある部屋に行ってもいい、それぐらいならその気になればできるはずだ。いくら父のことがアレルギーといえども。
まあ、纏まりのない話になってしまったが、まとめると、
- 起きてから飯を食わなくてもいいや(食ってもいいが)
- そんな気にすることではないだろう
- 父がアレルギーならそれを理由に食わなくていい
- 大抵の時間父が台所に居るのなら大抵は食わなくていい
- そんな気にすることではないだろう
- 流れに任せればいい
って感じだな。まあ箇条書きにしてもいまいち纏まってないな。
ところで話は変わるのだが、俺はYouTubeで音楽の再生リストをいくつか作っていて、一番よく聴く再生リストは400曲を超えていて、気分がよろしくないときなどには今一番心が回復しそうな曲を探すためリストをスクロールしていくのだが、どれもイマイチなんだよな。
そんなときシャッフルを選んでみた。
1曲目イマイチ…
2曲目イマイチ…
3曲目お、いいかも。
自分で選ぼうとすると全部イマイチに思えたのだが、シャッフルにすることでまあまあの曲がわりと早く見つかった。
しかも面白いのが、たぶん自分で選んでたらこの「お、いいかも」の曲をリストに見てもイマイチと判断していただろう、ということ。
自分の意志とは無関係に流れてきたことで自分の意志ならイマイチに見えるものがまあまあに感じた。同じものなのにルートが違うことで感情が違った。おもしろいなこれ。
ちなみに、もちろん自分が今聴きたい曲を自分で選べるときもある。そういうときはそこそこ気分がいいときだ。まあそういうときは自分で選べばいいのだろう。
一日中なんもしてないので、こういうしょうもないことを考えただけで今日も一日が終わろうとしている。