布団で考えたことと、台所を出て考えたことと、風呂場で考えたこと

今日は8時半ごろ布団に入り30分以内には寝付き何度かの中途覚醒を経て18時ごろに布団から出た。

つまり9時間ぐらいは寝たと思われる。寝過ぎではあるが、寝付けずに布団の中で何時間もスマホを弄るということにならなかったのは良かった。やはりスマホは絶対布団に持ち込むべきではないな。

ちなみに布団に入ってるときに、ふと冷静に考えて「俺はこんなことをしていていいのだろうか…とんでもないことをしてしまっている…」という気持ちになった。

 

布団から出ると下に降りていき、台所にて「父が来る前に食べないと」と思いながら食事をとっていた。

すると母が来た。母と同じ空間に居るのは問題ない。

そしてちょっとすると父が来た。これが厄介だ。父と同じ空間に居るのがつらい。

べつに何かしら危害を加えられるわけではない。しかし本能的にアレルギー反応が出るのだ。もはや野生動物でいう天敵に様な存在として脳が認識してしまっているのだろう。これを変えるのは難しそうだ。

俺は急いで洗い物を済ませて5分ほどで台所を出た。5分が限界といったところだろう。

できるだけ父との接触時間を少なくしたいと思ってしまう。

できれば一旦この家を出るしかないと思っている。年老いた両親を残し一人っ子の俺が今さら家を出るのもナンセンスな気もするが、一旦は出たいのだ。そのためには金が必要だが。引きこもりの間は無理だな。

ところで、この家に居る間もできるだけ父との接触時間を短くしたいので俺は今回急いで5分で台所を出たわけだが、逆に考えれば5分なら耐えれたと考えてもいいかも知れない。

つまりは接触時間を極力なくすという選択だけでなく、ときには短時間だと割り切って耐えるという選択もあるということだ。この考えによって少し楽になるかもしれない、とふと思った。

 

台所を出ると、俺は例のごとくPCのある部屋に行った。

昨日の記事にも書いたように俺はロシアとウクライナの戦争のことが気になっていたようだ。YouTubeで次から次へと最新の戦争情勢の動画を見て回った。

そしてとうとうコメントをしてしまった。コメントをしたら最後、何度も何度もリロードして自分のコメントへの反応をチェックしてしまう。ちなみに何らかの返信があればすぐさまこちらも返信する。

コミュニケーションと承認欲求に飢えているんだろうな。

ネット上での発言は、匿名なうえ、相手と直接面と向かって言い合いをするわけでもないので、リスクがほぼ無い。そのうえで溜りに溜まった引きこもりの承認欲求と寂しさを埋めることができてしまう。

だから中毒的にやってしまう。

ちなみに、今回は19時ごろに始まって気が付けば深夜2時を過ぎていた。7時間以上も延々とやっていたことになる。体感的には1時間半ぐらいだった。まさに中毒である。

 

そして風呂に入って、今これを書いている。時間は4時12分。

 

ところで、ケツの穴の1cmほど横にある粉瘤は昨日潰れた。

血が止まらない。常時ごく少量の血が出ており、糞をするとやや多めに出る。

まあ、いつもなら3日から1週間以内に止まるので、今回もそれぐらいで止まればいいなと思っている。

しかし、もしアルバイトなどでも働くようになって頻繁に外出することになると、これはやはりかなり不便だ。

病院にて摘出をした方がいいんだろうな。

まあしかし一昨日の記事にも書いたように、暫くは病院に行くつもりはないので、頻繁に外出することになったら、生理用ナプキンを検討しようかな。2回目の痔瘻の手術をしたときは1年間ぐらい常時装着してたしな。

しかしそう考えると益々とっとと病院行けよって話だよな。行かないのは非合理的だな。しかし一昨日の記事にも書いたが、非合理的かどうかよりも俺にとって行動のハードルが低いかどうか、つまり行動しやすいかどうかの方が重要なのである。今は。