ボカロ曲を人間が歌うとイマイチになることが多い。
ボカロP本人が歌っているもの、ネタ的にふざけたアレンジをしているもの、あたりはまあまあ聴けたりもするのだが、本格的に上手い人がガチでカバーしてるのは、なんか好きになれなかったりする。
ボカロ曲を人間が歌うとかなり上手くても、なんであんなにも微妙なんだろうか。
ボカロには感情が無いが、人間には感情があるからだろうな。
猫はあらゆる仕草がかわいい。驚くほどかわいい。しかしもし、猫の知能がもっともっと高くて自分が可愛いと分かってあれをしていたのなら、そのかわいさは半減するだろう。
ボカロカバーがクソなのはそういうことなのかもしれない。
歌っている人間本人の内面にある要らない感情が透けて見えてしまうのでイマイチになってしまうという。
どう?上手いでしょ?エモいでしょ?声カワイイでしょ?みたいな。歌い手としての承認欲求というか。
あとは単純に、自分が作ってないのに他者の作ったものに後からタダ乗りして、承認欲求を満たそうとしているように感じてしまい気に食わない、というのもありそうだ。
もともとは透明感あふれる純粋なものだったのに、人間が後からカバーすることによって、承認欲求や自惚れなど人間的な臭い感情が透けて見えてしまう、という。
まあでも、こんなふうに思ってしまうのは俺の心が狭いからだろうな。
勘繰り、嫉妬、決め付け、などがあるのかもしれない。
ボーカロイドの曲を後から人間がカバーしてドヤっているようなものであっても、すんなりと受け入れられて、それなりに高めの評価をしてあげられる人こそ、健全で柔軟なメンタルの持ち主といえるかもしれない。