過去記事は修正すべきかどうか

毎日ブログ更新しているとブログに愛着が出だしたのか各記事にちゃんとカテゴリーを付けていこうかなとか思いはじめたんだけども、その際にブログを読み返したりもするわけで記事修正すべきかどうかで迷うんだよな。

記事修正することによるデメリットは2つある。

  1. 修正前よりも変になる
  2. 修正前のテンションが伝わらなくなる

まず1.については、新規投稿の記事をアップロード前に推敲してるときなんかにもよくあることで、バババー!って書き殴ってから、ダラダラと読み直しながら一部だけ言い回しを書き換えたりするのだが、全体として見ると何か余計に変になってたりするんだよな。

一部を変えると他の所も変える必要が出てくるというか。

最初にバババーって書いたやつが何だかんだ感情を忠実に表現しつつ文章としてもちゃんと成立してる“最も均衡がとれてる状態”だったりする。

安易に一部の言い回しだけ修正したらさいご、均衡が崩れて他の箇所も修正することになり、するとさらに均衡は崩れてまたさらに他の箇所も修正して…となっていき、最終的には最初の文章で伝えたかった内容まで変わってきてしまったり。

なんか文章として変になっちゃった、ぐらいならともかく、伝えたかった内容まで変わってしまうのは、修正というよりももはや最初の文章を削除したようなもんだわな。

んで2.についてなんだが、これは今さっき修正したときに思ったこと。「気分とその原因を文章化すると誤解があるので書くのは諦めようと思ったけどやっぱり書く」という記事をふと読み返していて何となく修正していた。具体的にいうと、誤字脱字を修正して、文章の意味を分かりやすくするために1ヶ所リンクを加えてみた。

しかし、この記事はメンタルの調子が悪くて書く気になれなかったけど頑張って振り絞って書いた記事であって、誤字や脱字にも意味があるんだよな。ましてや、メンドクセーとか思いながらムリヤリ殴り書きしたわけであって丁寧にリンクとか入れちゃうと、余裕感がでてしまうんだよな。まあもう修正しちゃったからしょうがないけど。

ここまでは修正することで起こるデメリットについて書いてきたのだが、もちろん修正することによるメリットもあるんだよな。

  1. 自分以外の人が読んだとき理解しやすくなる
  2. 自分自身が読んだときも理解しやすくなる

例えば、誤字脱字なんかは無ければないほど文章として理解しやすくなる。しかしさっき書いたデメリット2つのように細かいニュアンスであったり、書いているときの自分自身の状態であったり、臨場感であったりが伝わらなくなるかもしれない。

だから、結局はどれを取るかなんだろうな。

例えば、この記事は書いてるときの感情や臨場感を大事にしたいから誤字脱字すら修正しないという判断があってもいいし、この記事は解説系なので感情よりも論理が正確に伝わるよう徹底的に修正するという判断があってもいい。他にも色々なケースがあろうだろうな。

まあとにかく、ただ何となく修正しまくるのは、無駄に手間がかかるうえ修正によるデメリットまで被るなんてことになりかねないので、記事のコンセプトを明確にしてデメリット2つとメリット2つのどれを優先するかを考えて、修正するかしないか判断すべきだよな。

まあでも、このブログは基本そのときの感情で書き殴りって形式が多いから、修正しないで放置した方がいい記事の方が多い気がするな。

ちなみにこの記事は修正すると思う。解説系なのに書いていて眠くなってきてメンドクサクなってきて後半になるにつれて適当になっていってしまったから。