昨日の記事の補足とこの時間までの日記

昨日の記事、現場に来てないライト層と現場で金を落とす太客を差別化しないのが正しい、みたいなニュアンスになっていないか心配だ。そういうニュアンスになっていると後者を重視した発言、アクションをするメンバーを否定することになるから。アイドルにおいて、ライト層と太客の両者に配慮する必要がある難しさ、ジレンマは分かっている。どちらかを立てればどちらかがないがしろになる可能性のあるジレンマのなかやってる。さらに、前者への配慮だけが優しさではなく、むしろ後者への配慮のほうがある意味真の優しさだったりもする。また、現場に来るようストレートに訴求することも勇気であり、それができることも素晴らしいと思っている。そこらへんも分かってる。だから太客を大切にしたり、先陣を切ってライブの宣伝しまくる姿も、俺にとっては尊い。

このまま日記も書こうと思う。

2時半ごろ布団に入った。寝付くのに少し時間がかかってしまった。浅い睡眠と短時間で何度も目覚めるというのが4時ぐらいまであって、それ以降は覚えていないので、ようやく寝付けたのだろう。最近、寝る部屋のMDコンポが故障していて音楽を聴きながら寝れないのがだるい。

7時ごろ諸星めあと綿谷湊のSHOWROOMを聴くため起床。しかし聴き終えるとまた寝てしまい11時ごろ布団から出た。

水シャワーを浴びて何かしらの作業をしようとパソコンの前に行くも、父親と一悶着。一昨日も書いた通り俺側のアレルギーが酷すぎて、もう同じ空間にいるだけでムリっぽい。

ようやく気分を落ち着かせやれたことは、大量に開いていたchromeのタブを確認して閉じていくという作業。

そうこうしているうちに時間はあっという間に過ぎ去った。

そして今これを書いている。時間は14時37分。この後の時間はせめてもう少し有効に使えるようになりたい。

満月咲莉花の生誕祭に行ってきた

前回の続きを書く。

東京遠征1日目はビーバイユー満月咲莉花の生誕祭ライブだった。

夕方、開演1時間前ぐらいに会場に到着。複数のアイドルが出演するライブイベントのタイムテーブルなかに生誕祭ライブが組み込まれている形なので、生誕祭ライブ開演までの待ち時間も他のアイドルグループが入れ替わり立ち替わりステージに上がっており、しばらくの間それを観ていた。また、外ではライブを終了したグループから順に物販・特典会も行っており、それも眺めていた。

しかしあれだな、想像以上に観客とアイドルの距離が近くて驚いたな。ライブの客席は学校の教室よりちょっと大きいぐらいの広さで、最後列でもステージから8メートルほどしか離れていない。双眼鏡を持参してきたが必要なかった。

19時50分からビーバイユーのライブが始まった。客席のボルテージがそれまでの他のグループのときより二段階ほど高くなった。「ただ青」という曲、これを聴いたのは6月30日のワンマンのとき以来なのだが、どうやら俺はこの曲を聴くと目頭があつくなるようだ。好きだな、この曲。現状ライブでしか聴けないのが残念。そして、この日の主役満月咲莉花のソロステージがあり、 =LOVEの「絶対アイドル辞めないで」のカバーを歌っていた。この曲は以前からメンバーの諸星めあがぜひ聴いてほしいとSHOWROOMで言っていて何度か聴いていたのでよかった。全く知らない曲を歌われるより知ってる曲を歌ってくれた方が楽しめるからな。そしてこのときも俺は目頭があつくなってしまったな。満月咲莉花は前日まで喉の調子が悪かったようなのだが、それを感じさせないほど素晴らしいパフォーマンスをみせてくれた。アイドルに徹している、カワイイに徹している。彼女なりに曲を解釈して細かな表現にも拘ってるんだなというのも分かった。

満月咲莉花はもちろんカワイイのだが、個人的に彼女に持つ感情は“スゴイ”とか“スバライシ”とかもある。彼女は緻密さと大胆さを両方持ち合わせているように思う。普通、緻密にしようとすればどんどん臆病になる、あるいはメンタルを拗らせ性悪になったりするのだが、彼女からはカラッとした勇敢さのようなものを感じる。もちろん完璧人間などはいるはずもなく、彼女にもたまにぬけている所があったりもする、しかしそれはどれも微笑ましく可愛らしいもので、マイナスにはなっていないという。

「直接会いに来れなくても応援してくれてるだけで嬉しいんだよ、ぜんぶが同じように私の力になってるんだよ」彼女はかなり初期の段階でよくこういうことを言っていた。今は他のメンバーも同様のことを言うことがあるが。在宅でSHOWROOMだけを聴いていた俺はこの言葉に救われていた、と当時に、いつか必ず直接現場に行って金を落とさねばと心に誓った。彼女は以前からこういったこちらが救われるような言葉をよく発する。こちらの心を読まれているのだろうか?もしかして俺に向かって言ってくれているのでは?と錯覚してしまうようなことを言う。

まあ書き出すときりがいないのでここらへんにしとくが、こないだコメントで「ビーバイユーのメンバーについて性格など解説してほしい」との要望があったので書いてみた。しょうじき、言葉で説明するとどうしても陳腐になってしまうので、とりあえずSHOWROOMYouTubeで実際に見てみてほしいと思う。

ライブが終わると、物販・特典会が始まった。今回は前回ワンマンのとき買えなかったオリジナルTシャツとチェキトーク券を買った。満月咲莉花オリジナル缶バッジも買いたかったのだが物販列俺の5人ぐらい手前で売り切れたらしい。こんなことだったらライブ終わってすぐ並んどけばよかった。俺はこういうミスよくしてしまうな。

チェキトーク券はメンバーとチェキ撮影1枚+50秒トークができる。まあ、Xにも書いた通り俺はびっくりするぐらい緊張してしまい、トークはほとんど言葉が出てこなかった。そのぶんメンバーがリードして喋ってくれるのだが、それに対する相槌の言葉すら出てこなかったな。ツーショットチェキを撮影するさいには、メンバーと一緒に手でハートを作るポーズをとったのだが、手がガタガタ震えてしまうのを抑えるのに必死だった。

終了したのは22時ごろ。俺はひとり颯爽と会場を後にした。メンバーの前で醜態を晒した以外は誰とも喋らない一日であった。

スマホで近場のネカフェを調べ、次の日に向けフラット個室にて宿泊した。

父親への強迫観念

父親に関する強迫観念というか妄想というか、これがけっこう生活するうえで枷になっている。

何かしらの選択をした際に、彼がそばにいるとその選択が汚染されたような気がしてしまう。だからそこで選択を変えることになる。しかしその選択もまた汚染される。つまり正しい選択は絶対にできないと思い込む。そこでフリーズして何もできず、何も考えられなくなる。ちなみにキャッチ―に汚染と書いたが不吉と書いたほうが正確かもしれない。

あるいは、行動を開始したとき、その最中に彼がそばにきた場合、その行動をそのまま続けるとよからぬ結果が起こるという不吉な観念が湧いてくる。そこでもまたフリーズすることになる。

例えば、ある日雇い求人に応募しようか迷っているとき、父親が隣の部屋に来た場合、いま選択したものは必ず悪い結果をもたらすと思い込んでしまい、決断を後回しにすることになる。

あるいは、日雇いの求人サイトを開く、ログインをする、求人を探す、選ぶ、応募をする、という行動の流れの中で、例えば「ログインをする」という段階で、父親が隣の部屋にきたとする。そうすると俺は中断してログアウトすることになる。このログインは父親に汚染されたという観念がでてくるからだ。このまま進めるとよからぬことが起こると思い込む。

もっと簡単なこと、いや簡単ではないな、よくありがちなこと、それはブログを書くこと。これも父親によって汚染されたような気がして書けなくなる。例えば、全体の構成が頭のなかにあり、ばばーっと書きはじめ、ちょうど6割ぐらい書けたところで、父親が近くにきた場合、そのブログはお蔵入りとなる。そのまま書き続けアップロードすることによって何かしらよからぬことが起こる気がするから。

あるいは、そもそも書けなくなる、ブログを書くという作業は、何を書くか?どういう書き方をするか?あらゆる言葉の選択を伴う。父親がいれば選択自体が難しくなるので、ブログを書く手は止まる。フリーズする。ムリヤリ書いたとしてもそれは汚染された不吉なものなのでアップロードできない。じっさい思考が半フリーズした状態で書くので、碌な内容になっていなかったりする。ちなみに、これは強迫観念によって思考力が低下しているからなのだが、しかしまあ内心どこかで本当に汚染されているからと解釈してしまっているから厄介だ。

求人への応募、ブログを書く、を例に挙げたが、あらゆることで、この現象は起こる。そして、その選択が自分にとって重要なものであればあるほど、その影響、すなわち父親の存在によってフリーズしてしまう傾向は強くなる。

これを解決する方法は、脳内の神経伝達物質を適切な量に調節する、もしくは曝露反応妨害をする。

前者は投薬や運動、生活習慣の見直しによってある程度は可能なのだろう。後者はある種の根性論に近いものを感じるが、理屈でもって説明するならば、例えば、父親が近くにいる状態では判断能力が90%低下するとする、しかしそうだとしても、その判断が必ずしも間違っていて悲惨な結果になる、とは限らない。妄想上では必ずよからぬことが起こると思い込んでいたとしても、現実としては良い結果、なんなら大変満足できる結果となる可能性だってあるわけだ。つまり暴露し続けることによって、いくつかそういった良い結果を味わうことができる。そこで身をもって、ああ、あれはただの俺の妄想だったのだなと認識することができる。そうして、父親がそばにいるときのおかしな観念は徐々に消失していき、正常な感覚へと書き換えられるかもしれない。

しかしまあその曝露するってのが難しい。それなりの勇気が必要だ。